管理人Jasのプロフィール

Jasについて

こんにちは、Jasです!

本日は、本サイトの管理人 Jasの英語遍歴について、簡単に紹介します(^ω^)

暇な方はぜひ読んでいってね♡

Jasのプロフィール

  • 名前:Jas
  • 年齢:30代(ギリギリ平成)
  • 出身地:埼玉県
  • 海外歴:オーストラリア ワーキングホリデー2年
  • 保有資格:Toeic 950点、Cambridge FCE
  • 趣味:語学(英語、インドネシア語)、海外旅行、読書、ドカ食い気絶、睡眠
  • 好きなもの:ひつじ、海外ドラマ、歴史

大の勉強嫌い、生粋の怠け者ですが、英語との出会いで人生がちょっと楽しくなりました。現在は都内のIT企業でゆるーく働きながら(フルリモート)、英語コーチ・英語講師として活動中です。

英語ができれば、世界中のどこでも暮らせるし、世界人口80億人と交流できる。

信じられないほど好みの男性と出会って、映画みたいな恋もできるかも♡(私は経験ないけど嗚咽)

英語学習の無限の可能性に心を躍らせながら、今日もワクワク、コツコツ勉強を続けています。

Jasと英語の出会い

私Jasは、埼玉県で生まれ育ちました。

ものすごく田舎というわけではないけれど、かといって都会でもない。「外国語」や「外国人」とはほぼ無縁の幼少時代を過ごしました。

外国を意識する瞬間があるとすれば、物心ついた頃から家のトイレに貼ってあった、世界地図を眺めている時くらいでしたかね。

幼少期のJas
幼少期のJas

(当時大好きだった)近所のセブンイレブンはどこ?

としつこく家族に聞いていた記憶があります(笑)

ちなみに、ひとり暮らしをしている今でも、自宅のトイレには世界地図を貼ってます。ぼんやり地図を眺めるのって、なんか落ち着くんですよね!

まさに「三つ子の魂百まで」

そんな私が外国語に興味を持ったのは、小学校の中学年くらいの頃だったと思います。

当時のNHK教育テレビでは、毎日のようにアメリカのドラマが放送されていて、それらにドはまりしたのがきっかけでした。

Jas
Jas

アルフ、サブリナ、ボーイ・ミーツ・ワールド、私はケイトリン、ワンだーエディ、パパにはヒ・ミ・ツ、あたりが特にお気に入りだったな…

なかでもサブリナは、セリフを覚えるくらい本当に大好きで、ヨーロッパから取り寄せた完全版のDVD(日本では完全版は未発売)を未だに見てます。

金髪碧眼のバービー人形みたいな女の子に、イケメンのボーイフレンド、土足で上がる大きな家、カラフルなお菓子、車で通学する高校生、学校の廊下に並ぶロッカー、意地悪なチアリーダー…

アメリカのドラマを通して、欧米の文化や英語に対する強い憧れが大きく膨らんでいったのをよく覚えています。

13歳で初めての海外、オーストラリアへ

海外ドラマにどっぷりハマった私の夢は、いつかドラマの舞台みたいな、キラキラした世界の住民になることでした。

しかし、中学1年で新たに始まった英語の成績は悪く、A~Zを順番に書くだけの中間テストで、平均点以下の60点ちょっとだったのを覚えています。

Jas
Jas

ビデオが擦り切れるほど海外ドラマ見てたけど、当時の放送は日本語吹き替え版だったのよ。

英語、まじでわけがわからん……と速攻で苦手意識を持った私に、人生を変えるような出来事が起こります。

ある日、母から唐突に告げられた一言。

お母さん
お母さん

去年、お母さんが申込んでおいた市のホームステイプログラムに当選したから、今度の夏休み、姉ちゃんと10日間オーストラリア行っといで!

Jas
Jas

???

こんな感じでほぼ半強制的に、海外に放り出されることになりました。

なお、母がホームステイに申し込んだ理由はいまだに謎(本人もよく覚えていないらしい)ですが、

参加費は1人あたり24万円、姉とふたりで48万円(あまりの額に驚いたので、今でも覚えてる)。

当時はまだまだ珍しかった、ホームステイという貴重な体験をさせてくれた母には、感謝しかありません。

カルチャーショックで英語に目覚める

12歳の夏、生まれて初めての海外、オーストラリアのブリスベンに到着しました。

そこには、ほぼ海外ドラマで見たまんまの世界が広がっていて……20年以上経った今でも、あの衝撃と感動は忘れません。

私を受け入れてくれたオーストラリア人の一家は、本当に素敵な方々で、英語はまったく話せなかったけど、不思議とすぐに心を通わせることができました。

学校の友達とも本当に一瞬で馴染んで、暗くなるまでサッカーしたっけ。

ちゃっかり、13歳の誕生日を祝ってもらったり(笑)
色々と年代を感じるけど、そこはスルーで(笑)
ブーメランの絵付けもほんと楽しかった!
オーストラリアの制服って、カラフルで可愛いんだよね。

オーストラリアの底なしに明るくて懐っこい国民性が、言葉の壁を一瞬で壊してくれました。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、帰国の日を迎えた私は、心に誓いました。

I’ll be back.

そして、帰国後はほぼすべてのエネルギーを英語の勉強に注ぎ込ました。

今度みんなに会う時には、もう少し喋れるようになっていたかったから。

その結果、ABCも書けなかった私が、1年後には市の英語のスピーチコンテストの学校代表になっていました。

英語の教科書は全部暗唱できたし、授業では英語を「それっぽく」発音して、クラスメイトにバカにされてたけど、全然気にならなりませんでした。それくらい英語が大好きだったから。

英語をかっこよく発音するのはキモい。

「あいむ ふぁいん さんきゅー」って言わないとバカにされる。

日本の中学校のこの空気こそが、日本人を「世界で最も英語が下手な民族」にしてると思うの。

Jas
Jas

この文化、令和の時代にはさすがになくなってることを願うよ。

14年の時を経て、オーストラリアに戻る

中学・高校時代は、英語や国際交流のイベントに打ち込み、大学時代は空前の韓流ブームに乗って韓国語にはまり……紆余曲折ありましたが、海外への憧れは、ずっと心の奥にありました。

そして、ひょんなことがきっかけになり、26歳の夏、4年間新卒で勤めた会社を辞めてワーキングホリデーでオーストラリアに渡りました。

行き先はもちろん、思い出の街ブリスベン。

到着後すぐ、大好きなホストファミリーとも再会を果たしました。

しかし最大の問題は、やっぱり「英語」。

長年英語の勉強からは離れていたので、英語への自信もすっかり失っていました。

こうして、私と英語との本格的な闘いが始まったのです。

子どもの頃みたいに何から何までお世話してくれる人はいない、まさに「生きるための英語」が必要でした。

語学学校に通って、友達を作って、仕事をして、時には恋をしたり、なにも上手くいかなくて家でひとりで泣いたり……

良いことも悪いこともたくさん経験して、少しずつ英語力を高めていきました。

昔みたいに、英語の勉強を純粋に楽しむことができない瞬間も多々ありましたが、英語が世界を広げるという事実については確信が持てました。

この間まで手取り17万円の冴えないOLだった人間が、今は南半球でなんとか元気にやれてる。

これって、普通に考えたらすごくない?

英語には、人生を180度変えるほどのパワーがある

英語に苦手意識を感じる日本人は非常に多いですが、ほんのちょっとの英語力が勇気を与え、人生を変えるような選択につながることも、少なからずあったりもします。

なにも「みんな海外に移住しましょう!」なんて言わないし、実際に私自身も日本のすばらしさを再認識して、帰国することを選びました。

でも、もしあなたが「なにもやりたいことがなくて、毎日が退屈」「今の仕事はちっとも楽しくない」「特に趣味もなく惰性で生きている」のであれば、英語学習が人生の新たな道を切り拓く可能性があることを、声を大にして伝えたいのです。

こうして、このブログを始めることにしました。

つまり私が言いたいのは、

今日が人生で一番若い日だよ?退屈してるなら、一緒に英語勉強しようぜ!

ってことです!

このブログでは、TOEICを中心に、英語の学習について様々な情報を発信しています。

そして近々、TOEIC講座兼、英語学習コミュニティみたいなものを立ち上げられたらいいなと思ってます!

ぜひ、Jasと一緒に楽しく英語を勉強しましょ♡

大変長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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